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Nanairo

プライベートを充実させてみたいものだ…。

選挙に大義を求める不思議な風潮

Diary

先日、家に帰ってきて、ふと郵便箱の中を見たら選挙のお知らせが来ていた。
余談だが、筆者は東京に出てきてから20歳になったが、1回も投票に行ったことが無い。
なぜかは別の日にまとめてみようと思うけど、とりあえず理由があって1回も行ったことがない。

で、今日のテーマ。解散・選挙が分かってくると、野党やマスコミはこぞって、今回の選挙を「大義なき選挙」と批判した。しかし、解散・選挙をすることに大義が果たして本当に必要なのだろうか。


まず、最初に制度的な視点から考える。
日本国憲法第7条では「天皇の国事行為」として内閣の助言と承認が必要な行為のうちの1つとして衆議院の解散が定められている(俗にいう7条解散)。
もう1つは日本国憲法第69条にある「内閣不信任案」の可決による対抗措置である(69条解散)。
しかし、いずれにせよ衆議院の解散は詔書をもって行われるため、学説的な観点からは7条解散を支持する人が多い。

ここでポイントなのは、69条解散の場合は別として、7条解散では内閣の助言と承認が必要なのであて、そこに解散の助言と承認をするための何らかの理由はいらないはずなのである。

しかし、今回の解散・選挙では解散を決めた途端、野党やマスコミはこぞって大義がない選挙だと批判を始めた。大義が無いと解散できないとは法律にも制度上のどこを探してもそんな規定はない。もはや支離滅裂な批判でしかない。

もう1つは大義は勝手に生まれるものではなく、生むものだと思う。
選挙になったのだから、何を有権者に訴えるのか、政治家自らがアジェンダ・セッティング(議題設定)をし、大義があると有権者に見せるのが本当の姿なのではないだろうか。

600億円をかけてやるとなったのだから、税金の無駄遣いとか言っているんじゃなくて、各政治家は自分が訴えたいことを大義として形造らないといけないだろうと思うのだが。

まとめると、選挙に大義が無いと批判している時点で政治家失格。それに便乗しているマスコミは公正中立な報道が全く出来ていない。

最後に…
きょうも家の前を選挙カーが名前を連呼しながら通っていった。
いい加減、名前を連呼するだけの選挙戦も終わりにならないものだろうか。
名前を連呼するだけなら正直、騒音以外の何物でもないよね。