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Nanairo

プライベートを充実させてみたいものだ…。

無駄がない世界のつまらなさ。

ルパン三世イタリア編が金曜日の深夜(?)に放送している。
この番組のエンディングは石川さゆりさんが歌っているとのことで、最初は若い人が色っぽく歌っているのかと思ったけど、石川さゆりさんが歌っているということでちょっとした驚きを覚えた。

ちなみにタイトルは「ちゃんと言わなきゃ愛さない」

ジャケットはたぶん、モンキー・パンチ氏が書いたんだろう。大人のアニメという感じがすごい伝わってくる。


同じ石川さゆりさんが歌っている曲に「津軽海峡・冬景色」という名曲がある。

津軽海峡・冬景色

津軽海峡・冬景色

この曲の最初のフレーズは「上野発の夜行列車降りた時から 青森駅は雪の中」っていうのだけど、日本で今、夜行列車が走っているのはカシオペア(上野・札幌間)とサンライズ瀬戸・出雲(東京・高松/出雲市間)の2区間だけ。トワイライトエクスプレスは2016年3月くらいまではツアー列車として走っているらしいけど、たぶん、手軽な値段で乗れる寝台列車と言えばサンライズ瀬戸・出雲くらいではないだろうか。カシオペアは片道だけで飛行機で往復できるだけの値段がかかるのでどちらかというとリゾート的要素が強い。

自分が上京してきてから、帰省時に帰りの飛行機のトラブルで1回だけ、寝台列車に乗って帰ることがあった。その寝台列車は「あけぼの」というやつで青森・上野間を奥羽本線羽越本線経由で8時間くらいで結ぶものだった。発車時刻の1時間くらい前にみどりの窓口に駆け込んで買ったので、B寝台の個室はとれず、2段ベットの下を取った。

「あけぼの」という列車は某校からの帰り道、駅で帰りの電車に乗って待っていると、向かい側のホームにやってきて、2分くらい停車してすぐに出発してしまうもので、自分には縁がないものだろうと思っていた(今の仕事に就くことさえ考えてもいなかった)。だから、あけぼのに乗ったとき、少しうれしかった。今度は見送る側ではなく、見送られる側になるのだと。

発車すると車掌が検札にくる以外、特に乗っている人もおらず、自分と数人が1両を貸し切っている状態になっていた。

時間がすごいゆっくり流れているような気がして、このあと自分はどう生きていくのだろうかとか、普段は考えてもいないことを真剣に、新潟に着くまでの5時間くらい考えていた気がする。

自分は飛行機で帰るのが好きだけど、寝台列車もありだなとその時思った。ゆっくり流れていく非日常的な時間の中で、いつもは考えてもいないことを考えるというのは、現状を当たり前と思ってしまう状況から脱出できるような気がした。そんなまったりとした時間を提供してくれた寝台列車も今は廃止となってしまい、たぶん、地元の高校生は寝台列車というものを見たことがある人はあまりいないのかもしれない。

同様に今の高校生はMDというものが何かを知らない。自分の出身校ではMDといったら古文の参考書という人が多いかもしれないが、放送部であった自分からするとMDとはMiniDiskだろうと思う。また、中学生に至ってはファミ通のファミは何なのか知らないそうだ。ファミ通のファミっていったらファミリーコンピュータでしょ。

長々と下ってしまったが、昔のものがなくなっていくという感覚を最近、味わうことが多くなった。これは自分の年齢が重なっていっているということが大前提にあるのだろうが、世の中においても合理化という大義名分のもとに無駄がどんどん省かれて行っている。

でも、無駄のない生活ってどこが面白いのだろう。

会社でも合理化とか言って、外注したりしろと言われるのだけど、人間っていつから使い捨ての道具になったのだろうか。
雇用率がとか、若者の就職率がとか言っているが、合理化や人間のモノ化の結果、そういった問題が生じているのではないか。

もう一つ。便利になっているというが、逆に我々は機械に使われているのではないかということも併せて考えてみるべきだと思う。
例えば、インターネットが普及して便利になった反面、今度はサイバーセキュリティだとか言って、それに頭を抱えて取り組み始めるんだけど、それって人間の生活を便利にしているようで、かえって仕事を増やしている。
これは機械に人間が使われているということだと思う。自分の祖父はよく「機械に使われる人になるな。機械を使う人になるんだ。」と言っていたけど、この言葉の意味がようやく分かってきた気がする。

これじゃあ、いくら人口が増えてもかえって路頭に迷う人が多くなるのではないかと思う。そのうち、人間もいなくなるのだろうな。銀河鉄道999みたいに。