Nanairo

プライベートを充実させてみたいものだ…。

3.11の時の記憶

2011年3月11日は金曜日だった。
僕は会社の小さな会議室で定例の打ち合わせをしていた。入社1年目だった。
打ち合わせをしていたら横揺れが始まったので「地震・・・ですかね?」なんて話をしていたら、強い横揺れが襲ってきた。
会社ビルは免震構造だから揺れるのだけど、とてつもなく横揺れが凄くて先輩と机の下に隠れていた。隠れていた時、ふと死ぬのかもしれないと思った。大げさだけど19年、短い人生だったなと思った。
2、3分くらいして揺れが収まって、会議はその場で中止し、事務室へ戻った。
テレビをつけてみると、岩手・宮城・福島の惨状が中継で放送されていた。とりあえず親に電話してみようと室外に出て電話をかけてみたけど一向に繋がらない。20回くらい掛け直してようやく繋がった。

事務室に戻ると、先輩がテレビを見ながら「俺の実家が津波にのまれている」とつぶやいていたのを今でも覚えている。
自分が育ってきた実家、思い出の品とかが、すべて津波に流されるところをテレビを介して見てしまったその先輩は「俺の家が津波にのまれた」と大きい声でただただ笑っていた。
たぶん、悲しいとかそういうものを超えてしまったのだろう。家族は助かったと後に聞いて、良かったねと周りで話していたけど、流された家の後片付けをしに帰った時はどう思ったのだろう。

電車も動かないからと同期と一緒に近くのコンビニに行って、売れ残っているパンを買って食べていた。
事務室に戻って、夜中にテレビを見ていたら原発が爆発して、これからどうなるのだろうとテレビを見て呆然としていた気がする。

次の日の朝、会社の先輩数名と地下鉄に乗って家に帰った。朝8時半の、それも千葉方面に行く電車なのに東京方面に行く電車よりも混んでいて、体がつぶされそうになりながら、家の最寄駅に着いて、スーパーに立ち寄って売れ残りの食べ物を少し買って、借りていたアパートに帰った。
電気もガスも水道も通じていたけど、部屋の中は散らかっていた。よくテレビで見る地震の後の光景が部屋の中に広がっていた。

翌日、電車は動かないのに会社に来いと言われ困っていたら、隣に住んでいた大家さんが軽トラで松戸まで送ってくれた。
あの大家さんはまだ元気なのだろうか。たぶん、60か70代になっているのだと思うけど。

それから会社から家まで歩いて帰れる距離の場所に引っ越しをした。
ついでにカップ麺も常備しておくようになった。
あれから備えに対する意識が少し身についた気がする。